8歳の女の子も参戦! ウラジオストクでテコンドーが盛んな理由
この少女の鋭い蹴りをご覧ください。
彼女の名前はナスタシヤ・ルセンコ(Лысенко Настасья)ちゃん。愛称「ナスチャ」、8歳のお嬢さんです。
彼女は何を隠そう、本サイトでおなじみの日本海ブリッジのウラジーミル・ルセンコさんのひとり娘。彼女は先日、ウラジオストク市内で開催されたテコンドー大会に出場しました。
彼女の雄姿をご覧ください。
彼女のママが撮った試合中の動画も届いています。
ウラジーミルさんは娘さんについてこう話します。
「娘はもちろん女の子らしく育てたいと思っていますが、テコンドーやダンスを習わせています。そして、外国語の勉強もそうです。ウラジオストクは、日本や韓国、中国などに囲まれているので、近隣の国々の文化を理解することが大切。日本語の勉強を始めさせています」
彼女はいいご両親に育てられて幸せですね。
でも、ウラジーミルさんが娘にテコンドーを習わせたのは、それだけの理由ではないようです。なぜなら、彼自身もかつてテコンドーの選手だったからでした。
韓国の格闘技であるテコンドーは1980年代にオリンピック競技になりましたが、ロシアで正式に始まったのは1990年代になってからだそうです。日本の格闘技の空手は1986年までソ連では禁止されていて、ウラジーミルさんは子供の頃、柔道やソ連時代に開発された格闘技のサンボ(самбо)を習っていました。
そして90年代前半、10代になる頃、テコンドーに転身し、なんと彼は1992年にウクライナのオデッサで開催された全国大会で3位になったそうです。
その後、当時から一緒に地元でテコンドーをやっていた仲間たちが、ウラジオストク・テコンドー連盟を結成します。同連盟のウエブサイトをみると、ウラジオストクでテコンドーがとても盛んなことがわかります。
そして彼が送ってくれたこの1枚の写真ですが、中央にいる背の高い青年は、今年の東京オリンピックの80キロ超級で金メダルを獲得したウラジスラフ・ラリン(Ларин Владислав)選手です。左の男性がウラジオストク・テコンドー連盟のデニス・レベデフ(Денис Олегович Лебедев)さんで、彼はウラジーミルさんの娘さんの先生です。
いまロシアは世界で最もテコンドーが強い国のひとつで、今回のオリンピックでもロシア代表はメダルを4つ(金2つ、銀と銅1つ)を獲得しています。その背景には、子供の頃からしっかりと育成が進んでいることがあります。
ウラジーミルさんは話します。
「私が柔道からテコンドーに転身したのは、足技がスピーディーで魅力を感じたからでした。一般のロシア人はテコンドーのような格闘技について必ずしも正しく理解していないかもしれませんが、私たちはテコンドーこそ、武道の精神に繋がっていると考えています」
実をいうと、ウラジオストクはロシアで最初に柔道が行われた場所です。金角湾大橋のたもとにあるこのふたりの男性が向き合う銅像は、「ロシア柔道の祖」ワシリー・オシェプコフと嘉納治五郎です。サハリン出身のオシェプコフは1911年に嘉納の設立した講道館に入門。帰国後の1914年にウラジオストクで柔道倶楽部を始めたそうです。
ウラジオストクでテコンドーが盛んな背景には、こうして早い時期から東洋の格闘技を学び、受け入れてきた歴史があるからではないでしょうか。
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