MONOCHROME-モノクローム寫眞「ロシア戦勝記念日と戦禍の記憶について」

モノクローム寫眞2
ウラジオストク便り

5月9日はロシアの戦勝記念日でした。これは第2次世界大戦(ロシアでは「大祖国戦争」と呼ばれます)においてソ連軍がナチスドイツを敗退させ、独立を勝ち取ったことを記念するものです。

今日起きているロシアとウクライナの紛争から、この「記念日」の意味をめぐってさまざまな議論が出てくるかもしれませんが、モスクワ留学やサハリン在住経験のある中川善博さんは、いまなにを感じているのか。彼がウラジオストクで撮影した写真を見ながら一緒に考えてみたいと思います。


少し旧い事を不意に想い起す頻度が増えるというのは、些か老いてしまったという証左ということになるのかもしれない。そう苦笑いが洩れる。が、やや旧い話しを思い出してみた。

サハリンの方を稚内に迎え、雑談をしていて「ロシアの祝日で休業」という事柄に話題が及んだことがあった。1990年代のことである。

ロシアでは「5月9日」が独ソ戦の終結を記念して祝日となっている。国内各地で色々と催しも在ると聞くので「多分、最も盛大な祝日ですよね」というようなことを言うと、「“多分”ではない。“間違いなく”これは最大の祝日だと思う。“あの戦争”に関しては、何処の誰でも、大概は一族の誰かが何らかの形で戦禍の犠牲になっている。弔い、感謝し、忘れないことを意思表示する日だ」という御話しを頂いた。それが強く記憶に残っている。

実は随分と前にモスクワで「5月9日」の時期に滞在していたことがあるが、その頃は1990年代前半の「ポストソ連」の混迷の時期という感で、特に記憶に残るような何事かが在ったのでもなかった。それ故に「多分、最も盛大な祝日ですよね」というような話しをしたのだが、ロシアの人達にとっては「“間違いなく”」ということなのだ。

ウラジオストクを訪ねた経過の中、「5月9日」の少し前に相当する時期に滞在したことが在った。

「ポストソ連」の混迷の時期を抜け出すと、ロシアでは「5月9日」にパレードを行うというような(旧ソ連時代の)慣例が復活して、それは盛大なモノになっていった。

その種の催事に関しては“リハーサル”も必要な訳だ。休業日の夜ということではあったが、大胆に道路の通行止めをしてその“リハーサル”をしている場面を見掛ける機会が在った。

「5月9日」の予行演習:ウラジオストク

「5月9日」の予行演習:ウラジオストク(2018.05.04)

鉄道会社による「5月9日」の飾り

鉄道会社による「5月9日」の飾り(2018.05.06)

パレードのような特別な催事ということに留まらず、ウラジオストクの街にも戦時のことを伝えるモノも色々と在る。旧いモノを展示している博物館のような場所で、旧い軍用車輌が展示されているという例も多々在る。

<カチューシャ>を搭載した<ZiS 151>:アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>

<カチューシャ>を搭載した<ZiS 151>:アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>(2018.05.05)

<GAZ-67B>(ГАЗ-67Б):アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>

<GAZ-67B>(ГАЗ-67Б):アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>(2018.05.05)

各年代のソ連戦車…:<レトロミュージアム>

各年代のソ連戦車…:<レトロミュージアム>(2018.11.05)

ウラジオストクは1990年代に入るまで「軍港」という性質を帯びているが故に余り簡単に訪ねられない場所となっていた。が、国内の地方行政の中心で、文化活動も盛んであった訳で、軍港という来歴を伝えるモノも見受けられる。

新旧の海軍艦艇が視える海岸:ウラジオストク

新旧の海軍艦艇が視える海岸:ウラジオストク(2018.04.15)

巡洋艦<ヴァリャーグ>

巡洋艦<ヴァリャーグ>(2018.09.30)

軍艦が視える光景…:ウラジオストク

軍艦が視える光景…:ウラジオストク(2018.09.30)

<С-56>(S-56)

<С-56>(S-56)(2018.04.15)

今から少し離れた時代に戦禍が在って、その記憶を大切に伝え、戦禍に斃れた人達を悼み、平和な時代を築くことが叶っているということへの感謝の意を表するということに関して、それは何処の国でも各々の流儀で行われていることだ。それはそれとして尊んで構わないのではないかと思う。

<軍事功労都市>のモニュメントから

<軍事功労都市>のモニュメントから(2018.04.14)

そして今、また「戦禍」という話しになってしまっている。大変に残念だ。それは何処の人達でも思っていることだと思う。

「何処の人達でも」としたが、或いは最も心を痛めているのはロシアの人達かもしれない。

ロシアとウクライナとは「ソ連」という一つの国であった経過が在るので、例えば或る家族の「長男」と「次男」とその一族が各々にロシア国内とウクライナ国内に在って、時々往来しているというような例も多々見受けられる。故に「一族の中の人達が互いに武器を手に対峙し、生命の危険に晒されている」という様相も在るのだから。

この「戦禍」で、「感染症」の関係で不自由になったウラジオストク等との往来に関して、更に制限が生じてしまった。

そういう時期であるが故に、「戦禍」の犠牲を悼み、改めて「平和」を、更にそういう中で自由に往来することが叶う日がまた訪れることを願い、様々な文物の写真を御紹介したいというようにも思う昨今である。

(中川善博)

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