ウラジオストクでいちばん有名なシャモラビーチを紹介します
日本では梅雨に入りましたが、日本海の向こう岸にあるウラジオストクでは、近隣の島に出かけ、ビーチで遊ぶ人たちが増えている話を前回しました。
ルースキー島のビーチ紹介記事はこちら
今回もビーチの話です。ウラジオストク在住のアンナさんが報告してくれました。彼女は最近、ウラジオストクでいちばん有名なシャモラビーチを訪ねたそうです。
6月に入ってウラジオストクでは心地いい好天が続いているので、週末にシャモラビーチに行ってきました。今年の6月は例年と違い、晴れている日が多いので、うれしくなります。
シャモラビーチはウラジオストク市内から車で40分くらい離れた、ムラヴィヨフ・アムールスキー半島の東側にあります。昔からウラジオストクの人たちは海水浴に行くなら、ここなのです。
6月の海の水はまだ冷たいため、泳いでいる人はいませんでしたが、ビーチ沿いに寝そべり、肌を焼いている人たちや、新鮮な潮風を吸いながら、砂浜を歩いている人たちがいました。
ビーチに沿って、夏にはにぎわうレストランやカフェ、コテージが並んでいます。日帰り海水浴だけでなく、みんなでコテージに泊まって楽しむんです。
日本では珍しいアルメニア料理やジョージア料理のレストランもあります。
私たちはいつもここに来たら、中央アジア風肉の串焼きのシャシリクを食べ歩いたりします。チュルチヘラというコーカサス地方のブドウ果汁を使った練り菓子もおやつに買います。
シャモラビーチの近くには、コメータやマヤークというリゾートホテルもあります。
シャモラビーチの名前をロシア全国に広めたのは、ウラジオストク出身のロックバンド、ムミー・トローリです。彼らが1998年にリリースしたアルバム「Шамора – Правда О Мумиях И Троллях」のタイトルにも使われている「シャモラ」はここです。
いまの若いロシア人は彼らのことを知らないかもしれませんが、私の世代はみんな知っています。いまでこそ、シャモラビーチは小さな子供連れの家族や老人たちも訪れる、のどかな海水浴場ですが、ムミー・トローリのメンバーたちがここで遊んでいた頃は、いまほどリゾート地化されていなかったようですし、ロシア中探しても、地元にこのような美しいビーチがある都市はまずないですから、相当うらやましがられたことでしょう。
1980年代後半にデビューした彼らのバンド名は、フィンランドの画家であり作家であるトーベ・ヤンソンの作品「ムーミン」にちなんだものです。世界的なヒット作としては「ウラジオストク2000」(1997年)が知られています。リーダーのイリヤ・ラフテンコは現在、ニューヨークを日常的な活動の場にしていますが、海外公演や来日も多く、最近では2017年11月に東京の渋谷でライブを行っています。
実は、アルバム「Шамора – Правда О Мумиях И Троллях」はネットで視聴もできます。
Шамора – Правда О Мумиях И Троллях
ロシアでは真夏の青春の思い出を歌うビーチソングの存在自体、とても珍しいといえるかもしれません。日本人にはダミ声に聞こえるかもしれない渋すぎる歌声と、ロシアに特有のメランコリックな旋律が特徴的です。
アメリカ西海岸やカリブ海の底抜けに明るいビーチソングとは異なる哀愁が込められたこれら曲を聴きながら、このビーチを訪れるのも一興かもしれません。もっとも、現在のシャモラビーチは、西海岸張りに明るく健康的なようですけれど。
以下は、2年前のイリヤ・ラフテンコのインタビュー記事です。
https://forbesjapan.com/articles/detail/23885/
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